ラグビーの国際統括団体ワールドラグビーはこのたび、2019年の殿堂入りメンバーを発表し、リッチー・マコウ氏(ニュージーランド)、「シギー」の愛称で呼ばれた金野滋氏(日本)、オス・デュラント氏(南アフリカ)、ピーター・ファティアロファ氏(サモア)、グラハム・ヘンリー氏(ニュージーランド)、ディエゴ・オルマエチェア氏(ウルグアイ)の6人を選出した。

 チューダー社が提供するワールドラグビー殿堂は、キャリアを通じてラグビーに顕著な貢献を果たすとともに、品位、情熱、連帯、規律、尊敬の念といったラグビーを特徴付ける価値基準の形成のために模範となった人物を顕彰している。

 今年の殿堂入り表彰式は、2019年ラグビーワールドカップ決勝戦の翌日、11月3日にラグビー界の重要なメンバーの出席の下、東京・プリンスパークタワーで開催されるワールドラグビーアワードにて行われる。

 ファティアロファ氏、金野氏は逝去後の伝統入りとなる。マコウ氏、ヘンリー氏、オルマエチェア氏は栄誉ある表彰式に出席してキャリアを通じてのラグビーへの貢献に対して祝福を受ける予定。これら6人の選出により、2006年の開始以来、殿堂入り総数は148人となる。

 ワールドラグビーの会長で自らも殿堂入りしているビル・ボーモント卿は、「私たちが愛するラグビーというゲームは、男性、女性に関わらず、ワールドラグビー殿堂を形づくる卓越した先駆者の功績なくては現在の姿に至ってはなかったであろう。その彼らとは選手およびコーチであり、これまで私たちの価値観を体現してきた、そして今後の世代を鼓舞し続けるであろう真のレジェンドたちである」と語った。

 「ラグビーファミリーを代表し、今年新たに殿堂入りする6人 -- リッチー・マコウ、シギー金野、オス・デュラント、ピーター・ファティアロファ、グラハム・ヘンリー、ディエゴ・オルマエチェア -- のキャリアを通じた特筆すべき功績を顕彰し祝福するとともに、彼らがラグビー界に残した偉大な足跡に対して感謝の念を表します」

 「11月に彼らの栄誉を称える機会が訪れることを心待ちにしています。きっととても特別な夜になることでしょう」

 同様にワールドラグビー殿堂入りを果たし、殿堂選考委員長でもあるジョン・イールズ氏は、「異なる時代、地域を代表し、なおかつ何百万人ものラグビー選手およびサポーターたちをインスパイアーしてきたこれらの新たに殿堂入りを果たす人々を顕彰することは名誉なことです。殿堂入りを通じて、彼らはラグビーを偉大なゲームと成さしめた何千もの人々を代表することになるのです」と述べた。

 ワールドラグビー殿堂に関するさらなる情報はwww.worldrugby.org/halloffame を参照してください。

2019年ワールドラグビー殿堂入り:

リッチー・マコウ(ニュージーランド)‐ No. 143

シギー金野(日本)‐ No. 144

オス・デュラント(南アフリカ)‐ No. 145

ピーター・ファティアロファ(サモア)‐ No. 146

グラハム・ヘンリー(ニュージーランド)‐ No. 147

ディエゴ・オルマエチェア(ウルグアイ)‐ No. 148

金野 “シギー” 滋(日本)

生年月日:1922年7月7日

没年月日:2007年4月1日

ワールドラグビー殿堂144

 シギー金野

シギー金野ほど日本のラグビー界に多大な貢献を果たした人物はそうはいない。1985年には彼がラグビーに果たした役割と日英関係の発展に尽くした功績に対し、エリザベス女王陛下から大英帝国勲章が授与された。

金野はロックとして1942年から47年まで同志社大学でプレーしたが、第二次世界大戦のため国際舞台への道は断たれた。彼は大戦中、従軍パイロットを務めている。

 オックスフォード大学が1952年に訪日した際に金野はコーディネーターとして活躍したが、それはロンドンでの留学生活の初期には既に完璧な英語を話していた彼にとって理想的な役割だった。それはまた、後年「日本のミスターラグビー」と親しみを込めて呼ばれるようになったことからも分かるように、ラグビー界を統括する彼の比類のないキャリアの始まりでもあった。

 魅力的な性格でも知られた金野は、1963年から90年まで日本代表のほとんどすべての海外遠征の団長を務めた。87年と91年に開催された第1回、第2回ラグビー・ワールドカップでも団長として日本チームを率いている。

金野は日本ラグビーフットボール協会(JRFU)会長(1995-2000)に加え、アジアラグビーフットボール協会(ARFU)でも数多くの要職を歴任。1991-2000年には国際ラグビーボード(IRB)常任理事としてアマチュアスポーツからプロスポーツへと移行するラグビーの過渡期を支えた。

金野は2007年4月1日に84歳で逝去。葬儀は浄土宗の大本山、東京・増上寺で執り行われた。