2002年、第4回女子ワールドカップに2大会ぶりに復帰した日本だったが、初戦で開催国のスペインに0-62で完敗した。

「このままではだめだ」と感じた、当時日本女子ラグビーフットボール連盟専務理事だった岸田則子さんは、試合後にバルセロナのチームホテルに戻るとコーチ陣と緊急会議を行なった。そして、他競技の経験者を含めた優秀な人材を広く集めて強化を図るために、応募型セレクションの実施を決めた。トライアウトだ。

1988年の発足から14年目にして日本ラグビー協会傘下となった女子連盟は、翌2003年に東京で最初のトライアウトを行なう。すると、多くの希望者が集まり、そこには鈴木彩香や大阪から駆けつけた加藤慶子など今大会のスコッドにも名を連ねたメンバーや、現在セブンズ代表で活躍する大黒田裕芽、谷口令子らがいた。

以前から続けていた初心者講習会にも力を入れた。ワールド(のちに解散)やサントリーなど男子社会人チームや早稲田大学などの協力を得て、東京や関西などで実施。協力チームに所属する男子選手たちも力を貸した。講習会は多い時には110名を越す参加者があったという。

それらの実績から、岸田さんはトライアウトなどの選手発掘のための機会を広く行う重要性を説く。自ら手を挙げる機会を増やすことで隠れた優秀な人材を見つけ、競技の普及にもなる。それが、日本女子ラグビーを支える底辺の拡大に繋がると考えるからだ。

 「上(エリート)ばかりでなく、土台の部分から全体を底上げしていかなければ競技は育たない」と、東京出身の71歳は指摘する。

これらの活動の一方で、岸田さんは2003年からメンバー入りしたIRB女子委員会で得る世界の情報収集にも努めた。2004年には日本女子初のヨーロッパ遠征を実施。オランダ、アイルランドとのテストマッチも行なった。欧州勢との基調な試合機会になった。

その後、ワールドカップに予選が導入され、日本はカザフスタンに行く手を阻まれ、2006年、2010年、2014年と3大会連続で世界の舞台から遠ざかる。しかし2010年、日本協会が設置した女子委員会の委員長に就いた岸田さんは、その年のワールドカップ開催地のイングランドへ女子代表チームの遠征を実施。日本の選手たちに世界を感じさせるために大会を観戦し、サラセンズやリッチモンドと親善試合を行なった。

五輪の影響

岸田さんは女子競技への注目度に最近、変化も感じている。

今年7月に小田原で行われた女子日本代表のワールドカップ壮行試合の香港戦には、炎天下の中、チームに声援を送り続けるサポーターの姿があった。以前はあまり見られなかった光景だ。女子代表チームにはサクラフィフティーンという愛称も付いている。

7月30日には関係者や選手の家族を招いてワールドカップ壮行会も東京都内で晴れやかに行われた。その昔、自分たちが手探りで出ていた時と大きく異なる環境に、岸田さんは「なんだか、『今は昔』って感じね」と言い、「オリンピックが大きいのでは」と話した。

男女セブンズ競技の五輪種目採用が決まったのは2009年。それを受ける形で2010年には日本協会に女子委員会が設置されたのを機に、女子連盟は発展的解消。セブンズが採用されて初の大会となった2016年リオデジャネイロ大会に、日本は男女とも出場した。そして、2020年には東京オリンピックが控える。

 女子はセブンズ中心で強化をする国は世界的にも少なくないが、岸田さんは、セブンズに強化が偏ることも心配している。

 「次のワールドカップへ向けて、15人制の強化も続けて欲しい。ワールドカップに出ることで得るものは大きい。海外の選手の身体の当たりを体感するだけでも違う。それに15人制には15人制のおもしろさもある。20年の東京オリンピックだけでなく、女子全体を考えた強化が必要だと思う」と話している。

挑戦の継承へ

 近年、岸田さんの尽力は広く認められるところとなり、日本協会の女子委員会委員長を務めていた2012年にはアジアラグビーの女子ラグビー普及賞、2016年にはJOC(日本オリンピック協会)スポーツ賞の女性スポーツ賞を受賞した。

37歳だった1983年、区のラグビー講習会に参加して、仲間とプレーと時間を共有する競技の魅力に夢中になってから34年が経つ。プレーを始めた頃は、女子ラグビーは珍しく、女性の社会進出もまだこれからという時代。「女子がラグビーをやるのは危ない」という声や、組織作りにも「ラグビーは男のスポーツだから、団体トップは男性でなければ」という批判など、女性ゆえに悔しい思いも多くしてきたと岸田さんは言う。

それでも、代表チームの大会参加のための活動費を捻出すべく、交流大会パンフレットへの広告集めやバザー開催を続けて、女子ラグビーの普及と強化に奔走し続けた。岸田さんをそこまでさせたものは何なのか?

「何なのでしょうね。やっぱり、ラグビーが好きなんじゃないですか」と笑う。

 今大会へ臨む女子日本代表のメンバーに日本が前回出場した2002年大会を経験した者はいない。だが彼女たちは異口同音に、岸田さんをはじめとする先人達への感謝と、受け継ぐことの大切さを感じている。

 鈴木実沙紀選手は、「桜を付けられないで代表として出て、今よりも厳しい状況でもラグビーを続けて来てくださった先輩方がいる。そういう方々のおかげで私たちが今、ワールドカップに出ている」と語る。

マテイトンガ・ボギドゥラウマイナダヴェ選手も、「日本代表でプレーするのは特別。自分は先輩たちに厳しく指導してもらった。今度は私が後輩をしっかり指導する番」と話していた。

 今回のワールドカップ出場を機に、女子のキャップ制の導入も決まった。自身も3キャップを持ち、現在は日本協会評議員を務める岸田さんは、アイルランドで日本代表として戦う選手たちにメッセージを送る。「試合の勝敗だけでなく、大会そのものを感じてほしい。そして次へ続けて、繋げてほしい。」

ワールドカップという舞台を経て、後輩たちが大きく羽ばたいていくことを期待している。