前回リオデジャネイロ・パラリンピックで銅メダルを獲得し、今大会で金メダル獲得を目標に新型コロナウィルス感染拡大で1年延期された東京大会に臨んだが、手にしたのは銅メダルだった。

 「メダルを持って帰ることができたことは本当にうれしい」と、日本代表の池透暢キャプテンは笑顔を見せた。

 しかし、自身も出場した前回に続いての銅メダルフィニッシュに「自分たちはまだここなんだなと、改めて感じさせられた」と悔しさを滲ませ、複雑な心境を口にした。

 自国開催の今大会、日本は8月25日の初戦でフランスに53-51と逆転勝利を収めると、26日はデンマークを60-51と下し、27日のグループ最終戦で過去2大会優勝のオーストラリアに57-53で勝利を収めて、3戦全勝で準決勝に進出した。

 しかし、そこで。グループリーグでカナダに50-47、ニュージーランドに60-37と連勝し、アメリカとの2勝同士の対決を48-50で落としてグループB2位でのベスト4入りしたイギリスと対戦。日本は相手のプレッシャーを受けて得点を伸ばせず、競り合いの中で退場者を出すなど、持ち味を十分に発揮できずに47-55で敗れて、決勝進出はならなかった。

 金メダル獲得という強い思いを胸に大会に臨んできただけに、翌29日の3位決定戦へ精神的に尾を引きそうな敗戦だったが、日本はこの敗戦から一晩で見事に立て直して銅メダルマッチに登場。序盤から集中したハードワークを見せた。特に守備でダブルタックルなど相手の得点機を阻止する好プレーが光り、攻撃でもロングパスを活かして得点を重ねた。

 なお、金メダルは決勝でアメリカに54-29で勝利したイギリスが獲得した。

 「チーム全員で昨日の敗戦からしっかり立ち上がったことが今日の勝因だと思う」と池主将。自身も「リオからの5年間の最後の一日。楽しもう」と気持ちを切り替えて試合に臨んだと明かした。

 日本代表はリオデジャネイロ大会後に、東京大会での金メダル獲得に向けてカナダ代表やアメリカ代表で指揮を執ったケビン・オアーヘッドコーチを迎えて、強化に努めてきた。2020年年明けからの新型コロナウィルス感染症の世界的流行で国際試合など予定していた強化プランの軌道修正を強いられたが、国内合宿を繰り返して細部を磨き、自分たちのプレーを確認した。

池主将は、「全員がハードワークして守備もオフェンスもアグレッシブに、日本のラグビー、ケビンヘッドコーチの目指すラグビーができたと思う。自分の中では今一番輝くメダルだ」と語った。

日本は大会トライランク1位

 3位決定戦でのオーストラリア戦で23得点をマークした池崎選手も、「ケビンコーチの『ファイト!』という言葉に後押しされて常に走り続けた。チーム全員がそれをできたことが結果につながった」と世界トップランクとの今大会2度目の対戦を振り返った。

 リオデジャネイロ大会に続いての銅メダルで終わったことに、今回が3大会目の出場となった池崎選手は「素直に喜べないという気持ちはある」と悔しさを口にしたが、「また銅メダルだが選手たちはコートでしっかり輝けたのではないか。金より輝けるチーム。それが今日の日本チームだと思う」と話して、チームのハードワークに胸を張った。

 池崎選手で、グループリーグのデンマーク戦とオーストラリア戦では24得点など全5試合で97得点(平均19.4)を挙げて、大会の個人得点ランキングで8位に入った。

なお、大会得点ランクトップはフランスのJonathan Hivernat選手で、4試合で123得点(平均30.8)。2位はカナダのZak Madell選手の4試合105得点(平均26.3)、3位はオーストラリアのRyley Batt選手で5試合131得点(平均26.2)だった。

日本はチーム得点ランキングでは大会トップで終了。5試合で279トライ(平均55.8)を挙げた。2位はアメリカの5試合269トライ(平均53.8)、3位はイギリスの5試合267トライ(平均53.4)だった。

 また、スティールでは池選手が5試合で8本(平均1.6)をマークして総合4位タイに入った。大会トップはイギリスのJim Roberts選手で、5試合で11本(平均2.2)。同僚のAaron Phipps選手が4試合7本(平均1.8)で3位に入り、2位はアメリカのJoshua Wheeler選手で、5試合で10本(平均2.0)だった。

 今大会が初のパラリンピック出場だったローポインターの長谷川勇基選手は、「金メダルを目標にしていたので、残念な気持ちはあるが、応援している人のために何か持って帰らなければという思いがあったので、今はほっとしている」と話した。

 守備面で倉橋香衣選手らとともにチームの銅メダル獲得に大きく貢献した長谷川選手は、「リオの大会よりもローポインターは強化されている」としながらも、「海外の選手に劣っている部分がたくさんある。パリに向けて、また練習してきたい」と語り、次の2024年パリ大会へ視線を移していた。

Photo credit: Megumi Masuda/World Wheelchair Rugby