リーチ選手がラグビー留学生を育成する支援プロジェクトを始めた。アジアのラグビー発展への強い思いと、自身がニュージーランドから北海道札幌の高校へ留学した経験から生まれた試みだ。

 「僕と同じような経験を誰かにさせてあげられたらと考えたんだ。フィジーやサモア、トンガ、ニュージーランドから呼ぶことも考えたけど、僕らはアジアにいるし、アジアで競技を発展させたいと思ったんだ」とリーチ選手は説く。

プロジェクトの第1号の留学生はモンゴルの少年だ。モンゴルに目を向けたのは、自身が大ファンだという相撲を見て、朝青龍や白鵬というモンゴル出身の力士が横綱まで上り詰めた成功例にヒントを得たという。

 「彼らはみな、若い時に日本に来て相撲部屋に入って、最初は小柄だったのが鍛えられて体格も大きくなってトップに立った。それを見て、ラグビーでも同じようにできるんじゃないかと思ったんだ。モンゴル出身の少年を日本に連れてきて練習で鍛えたら、いいフロントローになるんじゃないかってね」

 受け入れ先は自身の出身校である札幌山の手高校。2004年に同校初の留学生としてニュージーランドから海を渡ったリーチ選手が仲間と共に3年間学び、現在の自身の基盤を築いた場所だ。当時、リーチ選手を育てた恩師の佐藤幹夫先生とは今も親しく、学校ではリーチ選手の後も毎年のように留学生を受け入れてきた。

 「札幌では皆がよくしてくれたから、今回もノロブにも良い環境だと思った」とリーチ選手。「学校の協力体制も良くて、多くの人がこのプロジェクトを支援してくれている」と話す。今回のプロジェクトを持ち掛けられた佐藤先生も、「留学生を育ててモンゴルラグビーの強化にという話だったので、手助けできるなら」と快諾した。

母校の協力を取り付ける一方、リーチ選手はモンゴルラグビー協会に連絡を取り、2019年の春まだ浅い頃、自ら現地に出向いて12人の候補者をチェックした。「モンゴル人はタフな人が多いし、日本で成功するにはタフでなければならないから、ハングリー精神とタフさを備えて、チャンスを最大限に生かせるような子を探した。」

リーチ選手が見つけた少年

その中で、一人の少年がリーチ選手の目に留まった。背が高く、シャイだが競争力があって謙虚さも感じて、「一目でピンと来た。『この子だ』って。」

 その少年はウランバートル出身のダバジャブ・ノロブサマブー。リーチ選手やチームメイトから「ノロブ」と呼ばれている。今年17歳になったノロブ少年は、主にレスリングに親しみ、フリースタイルでウランバートルでの大会で何度もタイトルを獲得している実力の持ち主。ラグビー経験は浅いものの、競技を始めて2年目の昨年、中学校の地区大会で優勝を経験した。

 飛行機にも乗ったことがなかったノロブ少年を、リーチ選手は昨年9月、日本代表がロシア代表と対戦したラグビーワールドカップ開幕戦に招待。翌日には札幌の佐藤先生に託して山の手高校で学校の練習場や寮を見学し、寮生と夕食を共にした。モンゴル語しか話せなかったノロブ少年だったが、スマホの翻訳機を駆使して寮生とやり取りを楽しみ、打ち解けた様子を見せていたという。

 リーチ選手は言う。「モンゴルの人は一般に、チーム競技はあまり得意ではなく、個人競技が強いという。でも人は変われるし、やってみないと分からない。一つはっきりしているのは、ノロブには学びたいという向上心がある。それは良い素質だし、オープンマインドで来ている。来日している力士を見ると、日本社会、日本文化に素晴らしく良く溶け込んでいる。だから、ノロブも適応できると僕は思っている。」

 そして、こう続けた。「(この留学で)ノロブはチームワークの大切さを学ぶことができるから、帰国する時にはこれまでとは違うマインドセットを持って帰ることができる。それはモンゴルの多くの人に影響を与える可能性のあるものだ。」

アジアのラグビー発展へ、日本の役割

 2015年、2019年のラグビーワールドカップで主将として日本代表の活躍に貢献したリーチ選手は、今回のケースがうまくいけば第2、第3の「ノロブ」の発掘に乗り出すつもりでいる。そこにあるのは、アジアラグビー発展への強い思いだ。

「ノロブがうまくいったら、2人目をモンゴルから呼ぶなり、インドや韓国から呼んでもいい。子どもたちが日本で経験を積むプロジェクトを進めたいと考えている」とリーチ選手。

「彼が日本でプレーしたいと望むのであれば、それはすごくいいけど、でも強制はしない。彼には最終的にはラグビーコミュニティをモンゴルに持って帰ってほしい。モンゴルのグラスルーツラグビーに影響を与えて、現地のラグビーを育ててほしいと思っている。アジアにはいい選手がたくさんいて、そうするだけの価値がある。彼らに必要なのは成長するためのプレー機会だ。」

リーチ選手はアジアでトップに立つようになった日本の役割についても言及する。

 「日本にはアジアのラグビーを成長させる責任があると思うし、それは僕が引退後に取り組みたいと思っていることだ」と日本代表68キャップの32歳は言う。

「日本からチームを連れてアジアに出向いて現地のラグビーの発展を助けたい。日本はかつてラグビー小国としてスタートしたが、今ではラグビーワールドカップで世界のトップ、トップ2のチームを破ってアジア最高のチームになった。それを達成した日本には十分な知識があるし、どうやればいいか分かっている。その知識を、アジアの国々と共有して彼らの成長を手助けするのは僕らの仕事だ。」

11月から札幌生活、大会登録もクリア

 ノロブ少年は現在、留学先の札幌山の手高校で日本での学校生活を始めている。当初は今年4月の新学期に入学予定だったが、新型コロナウィルス感染症の世界的流行で渡航できず、日本政府の受け入れ緩和に伴ってようやく10月末に来日。入国後、東京での待機期間を経て11月12日に札幌へ入った。

 待機期間中にはリーチ選手が電話をかけて話をしたり、食事を差し入れ、待機期間明けには焼肉屋へ連れて行って食事を共にした。「たくさん食べてたよ」とリーチ選手は思い出して目を細め、「でも、もっと食べて身体を大きくしないと」とアドバイスも忘れない。さながら、日本の兄という感じだ。

 ノロブ少年は、来日延期を余儀なくされていた間、ウランバートルで週3回のラグビーの練習に加え、週3回の日本語レッスンを受講。その甲斐あって、今回11月に東京から北海道へは単身、山の手高校ラグビー部の遠征先の函館へ無事に降り立ち、チームに合流した。 札幌では土日を含めて週6日、新しい仲間とともに練習に励んでいる。

 山の手高校の佐藤先生はノロブ選手について、「少し細いが動きは素早いし、レスリングをやっていたから体幹が強い。ラインアウトでもジャンプしてボールを獲れる」と話し、ロックでの起用を考えていると話す。

ノロブ選手は約7か月遅れで日本の高校生となったが、佐藤先生によれば、コロナ禍を考慮して全国高等学校体育連盟が設けた今季特別ルールにより、4月入学扱いとして選手登録も完了。大会にも出場できる状態だという。

これにより、12月27日から大阪花園で行われる全国高校ラグビー大会にも出場自体は可能。あとは実力次第だが、ノロブ選手は花園大会直前に予定している福岡合宿の遠征メンバー入りした。

「実戦経験がないので未知数だが、12月の合宿で何試合か出してみて、どのぐらいできるか見てみたい」と佐藤先生は話している。

リーチ選手のアドバイス

留学生の先輩であるリーチ選手は、このプロジェクトはノロブ選手だけでなく、受け入れ先の高校生にもプラス要素があると語る。

「日本人の生徒たちもノロブに日本の文化や言葉や生活習慣やラグビールールを教える手助けをすることになるから、ノロブにとってだけでなく、日本人生徒にとっても学びの機会になる。それこそが、僕が一番期待しているところだ。」

だが、まずはゆっくりとモンゴルから来た高校の後輩の様子を見る構えだ。「ノロブにはベストをつくしてほしい。伝えたのは自然体でいることと自分の出身を忘れないこと。それを忘れると日本で自分を失ってしまうから」とリーチ選手は言う。

「僕は彼をサポートして、彼も僕をサポートしてくれている。幸せにしてくれて、ほかの誰かを助けたいという気持ちにさせてくれる。いいことだと思うし、楽しみにしている。」

 リーチ選手が育った札幌で、モンゴルからきた少年が新たな一歩を踏み出している。