近年、男子日本代表が、ラグビー界だけでなくスポーツ界で、かつてないほど最も劇的なチームの一つに変貌を遂げている。

 かつては、1995年大会でニュージーランドに17-145で敗れて、ラグビーワールドカップの最多失点という不名誉な記録を更新し、歴史的にも国際舞台で競えるチームではなかった。

 ところが、そのすべてが2015年に変わった。日本は過去最大の番狂わせと言っても過言ではない、大会史上最高の勝利の一つで、南アフリカ国民を失意のどん底に突き落とした。当時はエディ・ジョーンズの指揮の下で、そしてプール1位突破を決めた2019年大会ではジェイミー・ジョセフヘッドコーチの下で、勇敢な桜の戦士たちは、観ている者をワクワクさせるランニングラグビーと、現在ではお馴染みのジャイアント・キリングという新たな期待感で、世界中のファンの憧れや崇拝の的となっている。

 ここでは、あの有名な2015年大会のスプリングボクス戦と、その4年後の日本大会で見せた感情的なアイルランドとスコットランドとの対戦を、もう一度覗いてみたい。

2015年ラグビーワールドカップ、南アフリカ対日本戦

国際舞台、特にラグビーワールドカップのチャレンジで、南アフリカは最高だ。2015年、その当時、2度の大会優勝経験を誇っていた南アフリカは、優勝候補として無敗でプールを突破すべく大会に臨んだ。もし、その展開にならないとしたら、当時多くの人が思っていたのはスコットランドかサモア、1991年大会以来1勝もしていない日本以外の手によるだろうと思われていた。

 日本と南アフリカの対戦は9月19日、海辺のブライトンでのプールBの開幕戦だった。あの日、試合を見ていた人のほとんどは、あれほどエキサイティングな展開になるとは予想もしていなかった。ジョーンズ日本代表ヘッドコーチと彼のコーチングスタッフを除いては。

 日本は試合が始まると、今ではよく知られているエネルギッシュなプレースタイルを展開したが、すぐにスプリングボクスのスクラムのパワー、フランソワ・ロウ選手のトライとその後のコンバージョンでビハインドになった。ほぼすべてが南アフリカ優勢の筋書きで進み、日本は29分に主将のリーチマイケル選手がトライを決めて10-7と逆転したが、ほどなく、南アフリカFW陣が再び力を見せつけて、今度はHOビスマルク・デュプレッシー選手がトライに持ち込んだ。

 それでも、日本は場の雰囲気にも、得点にも臆する様子はなかった。FB五郎丸歩選手が素晴らしいキックの精度を発揮してPGを次々と決め、日本はスコアを詰めた。スプリングボクスのパックは再び力を示し、ハーフタイム後にはローデ・デヤハー選手とアドリアン・ストラウス選手がそれぞれトライを決めた。

 だが、日本はまだ負けてはいなかった。五郎丸選手がバックラインで素晴らしい動きを見せ、自らトライを決めてコンバージョンも成功させると、試合時間残り10分少々で日本は29-29の同点に追いついたのだ。

 南アフリカはリザーブのハンドレ・ポラード選手が登場。73分に決勝点と思えるPGを決めて番狂わせ阻止かと思われた。ところが、日本は再び反撃に出る。最高にハラハラどきどきの終盤、リーチ主将は、決まれば歴史的な同点となるPGのチャンスを2度にわたって却下。そして、WTBケイン・ヘスケス選手がコーナーに飛び込んで、ブライトンの会場を埋めたすべての観客とラグビー界の大半の人々を、熱狂と錯乱にも似た興奮の渦に放り込んだのだった。最終スコアは日本の34-32だった。

2019年大会 日本対アイルランド戦

それから4年。日本はラグビーワールドカップを初めて開催した。新たな指導者の下ながら、勇敢な桜の戦士たちは2015年からの勢いを継続。大会の開幕戦でロシアに30-10の勝利を挙げた。

 そして、次に迎えたのがアイルランドだった。大会前には優勝候補の一角と目され、世界ランク2位に付けていたアイルランドは、完璧に近い大会スタートを切り、初戦でスコットランドに27-3で勝利を収めて、人々の関心を引き付けていた。

 日本の進歩はあるとはいえ、プールAでの両者の対戦でアイルランドの優位は動いていなかった。ところが、だ。日本はここでも立ち上がりから速いペースのプレーを展開する。アイルランドは前半でガリー・リングローズ選手とロブ・カーニー選手のトライで対抗し、守備でも日本の攻撃を抑えていたが、SO田村優選手が3本のPGを成功させ、日本はビハンドながら僅差で前半を終えた。

 後半に入ると、日本は今ではトレードマークと知られる手段を展開。スピードにのった攻撃だ。波状攻撃を次々と仕掛けると、静岡エコパスタジアムはホームのファンとアイルランドのファンの大声援が入り混じる不協和音に包まれた。そして59分、日本がプレッシャーをかけ続けた努力が報われた。ベンチスタートしたWTB福岡堅樹選手がコーナーに飛び込んで、日本にふさわしいリードをもたらすと、田村選手がコンバージョンを成功させた。田村選手は72分にもPGを決めて、日本は19-12で再び歴史的な勝利を手にしたのだった。

 日本はこれで2戦2勝となり、初の準々決勝進出へ大きく前進し、サモアとスコットランドという2015年大会と同じ顔合わせの2チームとの対戦を残すのみとなった。

2019年大会 日本対スコットランド戦

準々決勝進出か否か。日本はアイルランド戦の勝利で国民のハートをがっしりとわし掴みにしていたが、勇敢な桜の戦士たちが目指すゴールは8強進出だ。サモアにも38-19という見事な勝利を得て、3戦3勝と積み上げていた。

 台風19号の襲来は誰も予測できないものだったが、このためにプール戦開催も混乱。数十年に一度という規模の台風は10月12日に日本列島を縦断し、結果として数試合が中止を余儀なくされた。プールA首位決戦となっていた日本対スコットランド戦の開催も危ぶまれていたが、主催者が最後の最後まで見せた尽力により、13日の横浜での試合は無事に開催の運びとなり、多くの人々が感謝するところとなった。

 人生を一変させるような台風災害を目の当たりにして、多くの人が気持ちを高ぶらせていた中、日本はキックオフ前の黙とうをしっかりと導いた。今回、勇敢な桜の戦士たちはプラン通りに立ち上がりから執拗なプレーを展開したが、先制したのはスコットランドだった。日本に負けたこともなく、勝点4以上を手にして突破を決めたいスコットランドは、フィン・ラッセル選手がトライで得点した。

 だが、そこから日本が反撃。前半の猛攻で日本は松島幸太朗選手、稲垣啓太選手、アイルランド戦で活躍した福岡選手が素晴らしいトライを決め、21-7でハーフタイムに入った。後半開始3分には、福岡選手が再びトライ。ターンオーバーを仕掛けてボールを奪うと、そのままゴールラインまでトップスピードで駆け抜け、スコットランドに衝撃を与えてプール敗退目前に追い込んだ。

 しかし、スコットランドも終わってはいなかった。WP・ネル選手とザンダー・ファーガソン選手が早々に連続トライを返し、十分な試合時間を残して日本のリードを7点差に詰めた。その後、8強進出をかけた勝利を目指して、両チームは一進一退の展開を見せた。

 スコットランドは日本のディフェンスラインの穴を突こうと試みるが、日本も踏み堪える。そして、スコットランドの最後の攻撃で日本はターンオーバーを獲得。耳をつんざくような大歓声とともに、試合は終了。日本の28-21だった。開催国の日本はプールAを首位で突破して歴史を作り、準々決勝では驚いたことに、南アフリカと対戦することになった。

 東京で迎えた準々決勝は、日本にとっては別の段階の試合となり、最終的に大会を制覇する南アフリカに3-26で敗れた。しかし、歴史はすでに変わり、大活躍のヒーローたちは国民の心を多いに動かしていた。2015年と2019年の2大会にわたって、勇敢な桜の戦士たちは世界を魅了し、日本に長く続くレガシーを生み出したのだった。