ラグビーワールドカップ3大会を含めて日本代表歴代最多の98キャップを誇り、東芝でもジャパントップリーグ170試合で豊富な運動量と激しいプレーを見せてきた鉄人も、膝の故障には勝てなかった。

 大野さんは、1年ほど前から両膝の痛みに悩まされ、昨年末からは別メニューで調整していたが回復せず、最近は走ることもできないまでに悪化していたという。

「体と向き合い、ここが限界かなと思った」と語り、「ラグビーワールドカップでの日本の躍進や、東芝の若い選手の台頭が見られてとても頼もしく感じ、これ以上選手としてやり残したことはないと感じて引退を決意した」と、決断の理由を語った。

大学からラグビーを始めた遅咲きだが、2001年の東芝加入からロックとしてフィールドで戦い続け、その間に東芝のトップリーグ優勝5回、日本選手権優勝3回に貢献してきた。

日本代表では2004年5月の韓国代表戦でのデビューから、2007年、2011年、2015年のラグビーワールドカップでも活躍し、2016年6月のスコットランド代表戦で歴代最多となる98キャップを獲得した。

印象に残る代表戦を訊かれて、「2015年(ワールドカップで)の南アフリカ戦もそうだが、2013年に秩父宮でウェールズに勝った試合」を挙げた。

2004年の遠征でウェールズに0-98で敗れた自身の経験から、「その当時、9年後に勝てる試合ができるとは思っていなかった」そうで、先発を退いてベンチで試合を見ていて、勝利を確信した時には「涙でグランドが見えなかった」という。

その後、日本は2015年ワールドカップでは南アフリカ戦を含めて3勝を挙げるまでになり、昨年のワールドカップでは念願のベスト8入りを達成した。

昨今の日本代表の歩みについて大野さんは、「エディ(・ジョーンズ)さんが監督になって厳しく鍛えてくれて2015年の結果が出て、その上に2019年の結果が積み重ねっている。いい歩み方をしている。これからも2023年大会へ向けて、ギアを落とすことなく突き進んでほしい」とコメントした。

「昨年のラグビーワールドカップの後から公園でラグビーボールをもって遊ぶ子どもの姿をよく見かけるようになった。もっと増えてほしい。そのためには日本代表が強いことが不可欠」と指摘。日本代表が世界強豪に勝つのを見て競技を始める子どもが増えて、競技人口が増えることで、日本代表の強化につながるという「良いスパイラルで発展していってほしい」と期待する。

大野さんはさらに、「世界で勝つにはハードワークと自主性が2つの大きなキーワード。あとは、昨年のラグビーワールドカップでベスト8に入ったことで日本中の選手が自信を感じることができた。自信を積み上げていけば(次の)フランス大会でもベスト8以上の成績を残せると思っている」と語った。

42歳まで現役を続けることができたことについて、ロックというポジションが幸いしたという考えを示し、「パスやキックができなくても自分の得意なもので勝負できる」として、チームのために常に走ることと激しさを心がけてプレーしてきたと話す。

「東芝も日本代表もサンウルブズも、『このチームで勝ちたい』と思わせてくれる魅力的なチームだった。チームのために自分ができることをやるだけという思いでずっとやってきた」

ファンの存在も大きかったとして、「たくさん方の声援で背中を押してもらった。スタジアム内外でかけられる応援のおかげで、ここまで現役を全うすることができた」と感謝を示した。

 今後について大野さんは、「育てていただいた東芝に恩返しができるような活動をしながら、自分にしかできないことを見つけて日本ラグビー界に貢献したい」と話し、「まずは東芝ブレイブルーパスが王座奪回するために何かサポートしたいし、地方へ出向いて普及活動もしたい。私のような人間でも気軽にラグビーを始められる環境を整えていけたらいい」と語り、第2の人生へのイメージを広げていた。

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