ラグビーワールドカップ2015は、ウルグアイにとって厳しい大会になることが予測されていました。

イングランドが開催したワールドカップ2015では、「死のプール」と揶揄されたプールグループに、世界のトップ6カ国の代表チームのうちの3カ国が入りました。2冠王オーストラリア、RWC 2011に準決勝まで進んだウェールズ、そしてフィジーと共にプールに入ったウルグアイに勝ち目はないと見られていました。

出場権を得るための勝利を獲得してきたように、このラグビー最高峰のステージで白星を上げるためには特別な要素が必要でした。特に、ベテランプレーヤー、ロドリゴ・カポ・オルテガが身重の奥様と共にフランスに残った今、更に何かが必要となりました。

勝ち目のない負け犬…

カーディフで初めてウェールズに戦いを挑んだウルグアイの立場を表現するとき、勝ち目のない負け犬という表現では不十分でした。 

ロス・テロスが同年に白星を挙げたのは三回だけ。最も有名な勝利はウルグアイで行われたロシアとの対戦。この対戦でウルグアイはEngland 2015への出場権を獲得しました。しかし、ティア1のチームとの過去48戦では一度も勝利を収めていません。

ウェールズとの対戦では、フェリペ・ベルチェシの2回のペナルティキックで6−0とリードして好調な滑り出しでスタート。ベルチェシはハーフタイムの前にもう1本ペナルティを決めましたが、ウェールズも攻め出し、ウルグアイの好調なスタートを挽回。後半は、54−9と大差でウェールズが勝利を決めました。 

次の対戦相手はオーストラリア。バーミンガムのヴィラパークで行われた試合では、ウェールズ対戦と同様、これまでのウルグアイのテストマッチ対戦相手として初めての対戦相手。ワラビーズは11トライを決め、65−3で勝利を決めました。ウルグアイは、ベルチェシのキックによる3点の得点にとどまりました。

トライ・アンファント!(勝利!)

RWC 2003大会でパブロ・レモインがトライを決め、111−13で敗れた対イングランド戦から12年が経っていました。ミルトンキーンズで行われた第3戦では、フッカー、カルロス・アルボレヤが至近距離でフィジーを攻めました。

雨に濡れたミルトンキーンズのスタジアムには、30048人という記録的な観客が集まり、ウルグアイにとっても興奮の瞬間が生まれました。スクラムハーフ、アグスティン・オルマエチェア(ロス・テロスの英雄ディエゴの息子)は後半で、ウェールズのトライで得たスコアの2倍を得点することに成功しましたが、それも長くは続かず、レフリー、JP ドイルからレッドカード、更にイエローカードが発行されてしまいました。

オルマエチェアはそれ以上の制裁を受けず、ウルグアイの最終戦に出場。華やかな雰囲気に包まれたマンチェスター・シティ・スタジアムで行われた消化試合の対戦相手は、プール予選で敗退したイングランド。それでも入れ替えでピッチに入り、マリオ・サガリオがフィジー戦で50回目のキャップを祝った4日後のこの日に、50回目のキャップを祝ったアレホ・コラルにとって特別な試合となりました。ベルチェシのキックでウルグアイが最初にリードしたものの、結果は60−3で敗れました。

全戦全敗の大会になったもののロス・テロスにとってEngland 2015はポジティブな経験に満ちた大会となり、ラグビー新興国であっても世界の上位20位に入ることは可能だ、ということを証明しました。

プロとして海外で活躍するプレーヤーの数が増える中、モンテビデオにハイパフォーマンスセンターが設立されたことで、1999年10月2日にラグビーワールドカップ初出場を果たしたアグスティン・オルマエチェアの父の時代とは全く違うウルグアイラグビーに発展しました。

フロンティング・アップ

スコットランド国境線近くで行われたスペイン戦では、こじんまりとした観客の前、アマチュアプレーヤーのみでの対戦、ウルグアイのラグビーワールドカップの冒険は、試合終了3分前に決めた2トライで27−15となり、スペインを破った初戦でスタート。

ベテランキャプテンとナンバー8、オルマエチェア(写真)が率いる南米チームの勝利への基礎は早いうちにできていて、チームは強引に攻め続け、スペインのフォワードを抑えこみました。 

オルマエチェアは、ウルグアイのラグビーワールドカップ初トライを決めました。レフリー、クリス・ホワイトがスペインチームの、まるでローラースケートを履いているかのような自陣ライン越えに対しペナルティトライを与えなければ、もう一つのトライが決められたはずでした。フルバックのアルフォンソ・カルドソと入れ替えプレーヤー、フアン・メンチャカがミスの多いプレーに少々迫力を与え、二回のトライを決めました。

「守備も楽しい」

ウルグアイの次の相手はスコットランド。会場は観客もまばらなマレーフィールド。ウルグアイの強固な守備にスコットランドは、その年の初頭に5カ国対抗で16トライを決め、最後の試合を勝利で飾った時のリズムを見つけることができません。

ウルグアイは、激しいタックルで相手の攻撃を止め、ブレークダウンの度に困難な状況を作り出すことによりスコットランドのリードを43−12にとどめました。「守備も楽しい、ということをウルグアイは世界に証明することができたと思います。」と、自ら模範を示したキャプテン、オルマエチェア選手は語っていました。

ウルグアイは、現チャンピオンの南アフリカをも苦しめる守備のパフォーマンスを展開、引退を目の前にしたオルマエチェアにとっても最後の試合に相応しい戦いになりました。前半の終盤にブレンダン・ヴェンターを失い、14人となった南アフリカを後半33分間、無得点に抑えました。39−3で南アフリカの勝利で試合終了の笛が鳴り、オルマエチェアはチームメートに称えられながらフィールドを去りました。

ボック・ラッシュ

グラスゴーで南アフリカに敗れたウルグアイチームのうち9人のプレーヤーは、4年後のオーストラリアで再びスプリングボクスと対戦。前半南アフリカの爆発的な攻撃でウルグアイを悩ませ、わずか数分間で19−0と引き離しました。その後ディエゴ・アギーレのペナルティキックで19−6と近づきましたが、南アフリカはその後も得点を重ね、スクラムハーフのジュースト・ヴァンデウェストフイゼンのハットトリックで72−6で勝利。

前回のガラシールズでのラグビーワールドカップ戦から278分後、オルマエチェアがコーチとなったウルグアイチームは次の対戦相手サモアとの対戦でストレート負けの記録を止めました。一方、サモアはハーフタイムの5分前にナンバー8、カポ・オルテガがルースボールをトライに持ち込み、ウルグアイを29−0と大きく引き離しました。サモアは更に10トライを決め、60−13でウルグアイを破りました。

RWC 1999、「小魚の戦い」と揶揄された試合でスペインを破ったウルグアイの次の標的はジョージア。シドニーのスタジアムを埋めた3万5千人の観衆の大半は、ワールドカップ初出場のジョージアを応援しているようでしたが、24−12のウルグアイの勝利となったこの対戦結果に納得しない人はいなかったでしょう。

ロス・テロスは3トライを決め相手は無得点。勝利への点差が開く中、特に前半でのプレースキックやドロップゴールが決まっていれば更に引き離すことができたでしょう。カルドソがRWCでのウルグアイ初のトライを決めていますが、ディエゴ・ラメラスとニコラス・ブリニョニもトライを決めました。

イングランドへの道

ウルグアイのラグビープレーヤー人口は2003年で2千5百人。その年のラグビーワールドカップの栄冠を獲得したイングランドとはリソース面でも天と地の差があったウルグアイ。ブリスベンで行われたウルグアイ対イングランドの試合の結果は111−13と、誰もが恐れていた通り、実力の差を見せつけられた試合となりました。とはいえ、前半の10分間、ウルグアイは渾身の攻めでイングランドを苦しめました。

ハーフタイムは42−6で終了。ウルグアイは必死にトライを狙い、イングランドのゴールポスト近くでのペナルティのチャンスをあえて攻めに使いました。その冒険が身を結び、大男のプロップ、パブロ・レモインがダニー・グリューコックをかわし、後半45分でトライを決めました。しかし、その後試合の流れは再びイングランドの一方的な攻めに戻り、イングランドが17トライを決めて勝利を収め、南米チームは惨敗を背負ってワールドカップを後にしました。

記録破り

ディエゴ・オルマエチェアは、ラグビーワールドカップ史上最年長プレーヤーとして、1999年10月15日の南アフリカとの対戦に出場。当時の年齢は40歳26日でした。

最高記録

カナダを破り、前回のRWCイングランド大会のように敗者復活戦に挑むことなくアメリカ地区2枠の代表権を獲得したRWC 2019予選。バンクーバーでの第1戦で38−29でカナダを破った試合でウルグアイは素晴らしいパフォーマンスを披露、ラグビーワールドカップの出場権を早々と獲得しました。

最低記録

RWC 2003では、ブリスベンでイングランドに111点を取られて敗れました。この勝利はイングランドにとってもラグビーワールドカップ史上最高点差での勝利として記録に残っています。

QUOTE, UNQUOTE

「私の記録が破られたことは嬉しく思います。2回のトライを決めることができたのは素晴らしいことです。それ以上得点が得られなかったのはアンラッキーだったと思います。」と語ったのはパブロ・レモインでした。ラグビーワールドカップでのトライを決めるまで12年の月日を費やしたウルグアイが、RWC 2015でフィジーとの対戦に敗れた後での発言でした。

ロス・テロスがRWC 1999で挙げた初白星、スペインを破った試合後に、ウルグアイのコーチ、ダニエル・ヘレラが語った少々皮肉交じりのひと言。「この勝利を目指し過去6年間努力してきました。一方私たちの兄、アルゼンチンはワールドカップに4回出場したにも関わらず果たしたのは1勝だけ。僕らにとっては世界チャンピオンになったも同然。ウルグアイのような国がここにいること自体が奇跡のようなものです。」

驚きの統計

RWC 2015では、フライハーフの英雄、フェリペ・ベルチェシが、ペナルティキックを5回成功させ、ウルグアイの得点の半分をスコアしています。この15点は、RWC 1999にディエゴ・アギーレが17点を入れたウルグアイのRWC最高得点記録に僅かに足りません。