ラグビーワールドカップ・セブンズ大会で2度の優勝に輝き、オリンピック金メダリストであり、HSBCワールドラグビーセブンズシリーズでも3度の優勝を遂げているフィジーは、短時間で決着をつけるセブンズ競技で消すことができない足跡を残しています。しかしながら、15人制のワールドカップではあまり成功に恵まれず、波乱万丈の歴史を繰り返してきました。

 その中で、フィジーがワールドカップの舞台で最も輝いたのは2007年フランス大会でした。ナントでのウェールズ戦に38-34で勝利を収めてノックアウトステージ進出を決定。1987年の第1回大会でベスト8入りを果たして以来、フィジー史上わずかに2度目のことでした。

 その年、フィジーはハミルトンでのアルゼンチン戦に28-9で快勝してワールドカップの船出を飾っています。続くプール戦でオールブラックスとイタリアに敗れたものの、フィジーはライバルをトライ数で上回って8強に進出。準々決勝で、最終的に準優勝したフランスに16-31で敗れ、1987年大会を1勝3敗で終了しました。

 フィジーがこのレベルでの勝利を味わうまでに、その後は実に12年を要することになります。1991年大会ではカナダ、フランス、ルーマニアに敗れる残念な結果に終わり、続く1995年南アフリカ大会へは予選突破に失敗しました。

 しかし、1999年を迎えるまでに、フィジーは再び軌道に乗ります。ニュージーランド出身のBrad Johnstone監督かセットプレーでの規律を教え込んだことで、フィジー伝統の鋭い嗅覚と組織力が組み合わさり、ナミビアとカナダに勝利して、トゥイッケナムでのイングランドとの8強プレーオフ対決という好カードを生み出します。しかし、SOのNicky Little選手の果敢な努力やViliame Satala選手、Meli Nakauta選手、Imanueli Tikomaimakogai選手のトライにもかかわらず、フィジーは24-45でその試合を落としました。

 2003年オーストラリア大会ではフィジーは誇りを取り戻し、レジェンドWTB Rupeni Caucaunibuca 選手が走り回って、チームは良いパフォーマンスを見せます。アメリカ(19-18)と日本(41-13)に連勝して、スコットランドとのプール最終戦は、どちらがプール首位突破のフランスと共に準々決勝へ進めるかを決める対戦となりました。

絶好調のCaucaunibuca選手は個人技による素晴らしいトライを2本決めて、フィジーは試合残り時間2分というところで20-15のリードを奪います。しかし、そこでフィジーは第2列のApi Naevo選手をシンビンで失う大打撃を受けたのです。数的優位を活かしたスコットランドは、モールを押してTom Smith選手がトライを決め、Chris Paterson選手がコンバージョンを決めて試合をものにしました。

4年後、フィジーは再び「勝者全取り」の対決を再びケルト国のウェールズと演じます。フィジーの8強入り阻止はMartyn Williams選手の73分のトライで十分かと思われましたが、フィジーPRのGraham Dewes選手がクロスボールを捉えて決定打を決めたのです。ウェールズ主将Gareth Thomas選手にとってはテストマッチ100戦目の記念すべき試合が残念な結果になってしまいましたが、フィジー関係者は皆、満面の笑みに包まれました。

フランス大会でのフィジーラグビーは確かに見て楽しめるもので、その7日後にマルセイユで行われた南アフリカとの準々決勝でも、彼らは同様のやり方を続けました。バックスにVilimoni Delasau選手、Kamila Ratio選手、Seru Rabeni選手、Sireli Bobo選手、Sremaia Bai選手という好調な顔ぶれを揃えて、最終的に王座に就く南アフリカを慌てさせますが、結果は20-37で敗れました。後半、20-20の同点となった場面で第2列のIfereimi Rawaqa選手が絶好の得点機を逃してしまいます。執行猶予の時間を得たスプリングボクスが反撃して、準決勝に駒を進めたのでした。

フランスでの成功とは対照的に、その4年後のニュージーランド大会でフィジーは元の姿に戻ってしまいました。何千という国外駐在のサポーターや国から駆けつけた人々が多く集まって声援を送っていましたが、南アフリカとウェールズに大敗を喫し、南太平洋地区ライバルのサモアにも7-27で敗れ、2011年大会は忘れてしまいたい大会となりました。

2015年イングランド大会では、フィジーは開幕戦に登場する栄誉にあずかり、開催国イングランドとトゥイッケナムで対戦しました。フィジーは好プレーを見せたものの、11-35で黒星に。その5日後、フィジーはカーディフへ移動してオーストラリア戦に臨みます。後半早い時間でワラビーズに22点差をつけられてしまいますが、その後フィジーのプレーに滑らかさが出て力強いフィニッシュに持っていきます。最終的には13-28での敗戦でした。

フィジーはその次のウェールズともカーディフで対戦しました。オーストラリア戦と同じような展開となり、ハーフタイムでウェールズに17-6のリードを許します。Vereniki Goneva選手の60メートルから持ち込んだトライとBen Volavola選手のコンバージョンが決まって、4点差まで詰め寄ります。Leone Nakarawa選手、第2列のTevita Caudate選手、FL Dominiko Waqaniburotu選手らが意のままにタックルを振り払い、フィジーはワールドカップで2度目となるウェールズ戦の勝利目前まで迫ります。しかし、Dan Biggar選手がキック力を活かしてウェールズを救い、ウェールズが23-13で勝利を収めました。

RWC2015:フィジー代表のベストプレー集

フィジーはその後、ミルトンキーンズで14人になったウルグアイに47-15の快勝を収めて、先の大会から続いていた連敗を6で止めて大会を終えました。究極の“死の組”と呼ばれたグループでランク最下位チームとの対戦でしたが、フィジーの予測不能で流れるようなスタイルは、より堅い守備と安定したセットプレーがあれば一層輝くと思われたものの、自分たちのラグビーの特長を出してティア1の3か国を苦しめ、堂々とイングランドを後にしました。

RECORD BREAKER

Vereniki Gonevaはフィジーのラグビーワールドカップでのトライ記録保持者で、RWC 2015大会では敗れたウェールズ戦で自身5大会目でのトライを決めた。Viliame Satalaと同じトーナメントレベルに。

Waisele Sereviは1999年大会のナミビア戦で22得点し、RWC一大会で一人のフィジー選手が決めた最多得点の個人記録保持者。Sereviはこの試合でフィジー全9トライ中8つのコンバージョンとPG 2本を決めて、67-18の勝利に貢献した。

HIGH

PRが試合を決めるヒーローになることは稀だが、Graham Dewesは2007年大会で決定的なトライを決めてウェールズをショックな敗戦に追い込み、1991年大会でのオーストラリアのフロントローのTony Dalyに続いた。

LOW

 フィジーは2011年大会でウェールズに0-66で敗れ、大会史上10番目の完封負けチームになった。(その後、2015年大会でアメリカが11番目のチームに。)

こんなコメント

 「ココナッツの木の下で眠っているか、ボートを漕いでいるかによるというだけさ!」― 2007年大会で主将を務めたMosese Rauluniのセリフで、世界強豪を倒す力を見せた次の瞬間に腑抜けになるチームの力量について訊かれて。

驚きの数字

2015年大会にミレニアム・スタジアムで行われたフィジー対ウェールズ戦での入場者数により、当大会での観客動員が100万人を超えた。

HOのSunia Kotoは2015年大会のトゥイッケナムでのイングランドとの開幕戦に先発し、ワールドカップ3大会でプレーしたフィジー初のフロントロー選手になった。