RWCでのアイルランド

 アイルランドがラグビーワールドカップ大会で準決勝へ進出できなかったことは、ワールドラグビー殿堂入りしているBrian O’Driscoll氏の15年の代表キャリアの中でも悔やまれることの一つです。

 O’Driscoll氏を筆頭に、シックスネーションズやヨーロッパのクラブラグビーではプロヴィンシャルレベルでの成功があるにもかかわらず、ここまでアイルランドはラグビーワールドカップの舞台では成果を十分に出せず、8大会で準々決勝敗退が6回という結果に終わっています。

 実際に、1991年大会準々決勝でオーストラリアへの劇的な敗戦をワールドカップでのアイルランドの傑出の場面に挙げる人は多く、その指摘に、アイルランドの希望が毎回どのように葬られてきたのか、よく表れています。

 アイルランドのワールドカップ物語は、とても馴染み深い相手であるウェールズとの試合で始まりました。

 強風で有名なウェリントンはその日も評判に違わない天候でした。アイルランドは前半、強い追い風で戦うことを選びましたが、Michael Kiernan選手がPG 2本を決めたが関の山でした。Jonathan Davies選手を中心に戦うウェールズは後半13‐0として勝利を飾りました。

 アイルランドは敗戦から回復。カナダとトンガに勝利を収めましたが、ウェールズに敗れたことで、準々決勝の相手が共催国のオーストラリアになりました。ワラビーズは最初の25分でトライ3本を決めると、そのまま優位に進めて33‐15で試合をものにしました。

 4年後、アイルランドは同じラウンドで同じ相手に躓きます。しかもホームのダブリンでのことでした。ジンバブエと日本に快勝を収めた後、ホームネーションズのライバルであるスコットランドに敗れてプールBで2位になり、アイルランドは再び厳しい8強での組み合わせを強いられます。

 ワラビーズを相手にGordon Hamilton選手の息をのむようなトライが決まると、ランズダウン・ロードは観客の喧騒に包まれます。しかし、Michael Lynagh選手がコーナーぎりぎりに決勝点となるトライを最後に決めると、満員の観衆はたちまちのうちに声を失ったのでした。

 アイルランドは1995年大会でJonah Lomu選手のフルパワーを体感した最初の国になり、果敢に挑みながらも19‐43の黒星で大会をスタートしました。次の試合では日本から50得点を挙げて、ウェールズとのプール首位争いに臨み、今回は24‐23で勝利します。しかし、ダブリンでのフランス戦を12‐36で落とすと、アイルランドの大会は終わりになりました。

 1999年、ラグビーワールドカップはプロ化されて初めての大会を迎え、プール2位の5チームと3位チームのうちの上位1チームでの準々決勝プレーオフが導入されました。

 アイルランドはアメリカとルーマニアから勝利を挙げて、プールEでオーストラリアに次いで2位に入り、プレーオフを勝ち抜けばホームのランズダウン・ロードで準々決勝を戦うことになっていました。ところが、アルゼンチンが後半の反撃を仕掛けて28‐24で逆転勝ちし、アイルランドの目論見は砕かれたのでした。

 2003年大会では歴史が繰り返されました。アイルランドは再びプールステージでオーストラリアに次ぐ2位になったのです。今回はしかし、アデレード・オーバルでアルゼンチンを1点差で下して、前回の借りを返しました。それでも次の相手のフランスには21‐43で後塵を拝して敗退。アイルランドは4年後の挑戦を待つことになりました。

 ヨーロッパの舞台でのマンスターとその後のレンスターの功績に励まされて、アイルランドは2007年にはフランスへ、その4年後にはニュージーランドへ乗り込み、ウェッブエリス杯獲得へこれまで以上に真剣な挑戦に臨みます。しかし、どちらの大会でも力が足りず、アイルランドにとってのラグビーワールドカップは、「もしも」や「でも」や「多分」だらけの物語でしかないのだという思いにさせられます。

 2007年、ジョージア戦でGirvan Dempsey選手のトライが決まらなければ、アイルランドはもう少しでワールドカップ史上最大と思しきアプセットの負けサイドになるところでした。イライラさせられた勝利はしかし、その場しのぎにしかならず、プール最終戦でアルゼンチンに敗れて、フランスから早々に帰途に就いたのでした。

 2011年はアイルランドの年になりそうでした。オーストラリアに記念すべき勝利をあげたアイルランドは、新境地を開拓して初めてプール首位になったのです。ノックアウトステージでは南半球3大チームとの対戦ではなく、ウェールズとの顏合わせになったのですが、試合は予断を許さない展開になりました。

The best of Rugby World Cup 2015: Pool D
The best of the action from Pool D at Rugby World Cup 2015, with tries, penalty kicks and great moments from Canada, France, Ireland, Italy and Romania.

 立ち上がりの不安定さを克服したアイルランドは、後半10分には10‐10として、チームに勢いも出てきていました。しかし同点が続いたのは5分だけでした。Alun Wyn Jones選手のパスを受けたウェールズSH Mike Phillips選手がブラインドサイドを突いてトライを決め、リードを奪って一歩も譲りません。ウェールズは22‐10で勝利を収め、アイルランドの8強止まりの惨めな記録は繰り返されたのです。

 2015年大会は、アイルランドの黄金世代には遅すぎる到来でした。O’Driscoll選手, Ronan O’Gara選手、Gordon D’Arcy選手といった2009年にグランドスラムを達成した面々がいましたが、彼らのようなカギになるメンバーが引退。不遇の過去を修正する役目は、新しい世代の選手たちに託されました。

 カナダ、ルーマニア、イタリア、そしてフランスには24‐9で勝って、アイルランドは2大会連続でプールステージを全勝で突破します。しかしながら、その成績は守護神で主将のPaul O’Connell選手を含めた主力選手らという代償を伴う形になり、勝たなければならないアルゼンチン戦には負傷欠場になってしまいました。

 アルゼンチンはランクで3つポジションが下の相手で、アイルランドが8強敗退の不運に終わらせるのに、わずかに優位と見られていました。しかし、アルゼンチンが強力な相手であることは過去に証明済みです。カーディフでのこの対戦でも、アルゼンチンはハイテンポなラグビーを展開して、アイルランドを43‐20で一蹴したのでした。

RECORD BREAKERS

 Brian Robinson選手とKeith Wood選手 はラグビーワールドカップの試合で4トライを挙げた唯一のFWとして名をはせています。NO 8のRobinson選手は1991年のジンバブエ戦で1試合4トライを決めた最初の選手になり、Wood選手の4得点はそれから8年後の大会のダブリンでのアメリカ戦でのことでした。

HIGH

 1991年大会準々決勝オーストラリア戦、試合残り時間5分で15‐12のリードを許していたアイルランドは、突破をするとボールは突進していたGordon Hamilton選手の手に渡ります。後にも先にもない走りを見せるフランカーを、満員の観客の地鳴りのような歓声が後押しをし、Hamilton選手が最後の力を振り絞ってワラビーズの守備陣を引き離してトライを決めると、ランズダウン・ロードはかつてない大きな歓喜で包まれました。しかし残念ながら、最後はMichael Lynagh選手が得点。アイルランドの人々を落胆させたのでした。

LOW

 2015年大会のカーディフでのアルゼンチン戦で、試合開始から13分で相手に17‐0のリードを許す展開で、アイルランドの準決勝進出の希望が消失。

こんなコメント

 「アイルランド対アルゼンチンの対戦にまた新たな一話が加わるなんて、信じられない。彼らとはこれまで一長一短という展開だ」。元アイルランドWTB Denis Hickie氏がフランス戦の勝利でアルゼンチンとのワールドカップ8強対決が決まったことを受けて。

驚きの数字

 Paul O’Connell 選手が、2015年大会のフランス戦出場でBrian O’Driscoll氏の持つワールドカップでのアイルランド代表キャップ17に並びました。悲しいことに、第2列のO’Connell 選手はその試合で現役引退を余儀なくされる怪我を負ってしまいました。

ラグビーワールドカップ2019大会のプール組み合わせ抽選会は、2017年5月10日に日本の京都で行われます。

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