RWCの南アフリカ

 ワールドカップで驚きの優勝を遂げて20年、南アフリカは2015年イングランド大会での初戦で日本に敗れて、大会史上最大の衝撃の犠牲者となりました。

 ブライトンでの32‐34での黒星は、幸いにも彼らの大会の命運を左右するものにはならず、その後の試合で挽回。最終的にはアルゼンチンを破って3位に入る成績を収めました。

 1995年大会でワールドカップに初めて参戦して以来、スプリングボクスは常にノックアウトステージへ進出し、ウェッブエリス杯を複数回掲げたことがある3チームの一つです。

 初出場した1995年大会は、ラグビー界だけでなく世界にとって新しい時代の幕開けを象徴する、極めて重要な機会になりました。

 アパルトヘイトを暗黒の歴史の一部に追いやって、南アフリカの人々が一つになって歩き出し、国際的に不毛な時代を経て生まれ変わった「虹色の国」がラグビー界最高峰の大会を開催したのです。

 南アフリカを大会開催国にすることは大胆な決断でしたが、実りのあるものになりました。信じられないほど素晴らしいショーが展開されただけでなく、ラグビーワールドカップという大会が一国を過去から脱却する手助けになったのです。

 決勝の日、ネルソン・マンデラ大統領はスプリングボクスのジャージに身を包んで会場入りしましたが、スプリングボクスは自身を投獄した白人支配主義の政権の究極の象徴とみなされていました。それだけに大統領のこの行為がチームにとって大きな発奮材料となって、オールブラックスに勝利します。この話はのちに、クリント・イーストウッド監督によって、「インビクタス-負けざる者たち」(原題Invictus)というハリウッド映画にもなりました。

 大会の政治的な結末から競技そのものに目を移すと、他にも映画の脚本になりそうなドラマが数多くありました。南アフリカは開幕戦で前回大会覇者のオーストラリアを27‐18という、オーストラリアにとっては最大失点で勝利すると、続くルーマニア、カナダ、西サモアにも勝って準決勝へ進出します。ダーバンでのフランスとの4強対決は土砂降りの雨で延期も検討されるほどでしたが、グラウンドスタッフの懸命な作業で試合は開催。最悪の試合コンディションでしたが、南アフリカが19‐15で制しました。

 そうして迎えたチーム初の決勝は延長戦に突入。8年後のシドニーでもそうだったように、SOが放ったDGがきれいに決まって、ウェッブエリス杯の行方が決まったのです。

South Africa win RWC 1995
In 1995, South Africa shocked the rugby world by winning the Rugby World Cup.

 南アフリカとニュージーランドの決勝は80分を終えても9‐9の同点。Joel Stransky 選手とAndrew Mehrtens選手のキック合戦は10分ハーフの延長でも続きます。最後の一本を決めたのはStransky選手でしたが、人々の心に長く残ったイメージは、試合後の表彰式でマンデラ大統領から、緑の背番号6のジャージに身を包んだFrancois Pienaar主将へ、ウェッブエリス杯が手渡された瞬間でした。それは1995年大会の象徴的な場面として永く残ることになります。

 4年後、南アフリカのタイトル防衛の戦いは、準決勝のオーストラリア戦で終わりを迎えます。大会序盤はエジンバラを拠点に、あまり注目を集めることもなく粛々と大会を進めていました。スコットランド、スペイン、ウルグアイに連勝を収め、準々決勝でイングランドを相手にSO Jannie de Beer選手が5本のDGを決める記録を作り、これ以上はない勝利を挙げました。

 2003年大会は、南アフリカにとって最も残念な大会になりました。スプリングボクスはプール戦でイングランドに敗れ、準々決勝ではニュージーランドに9-29で負けて、出場3大会目にして初めて4強進出を逃したのです。

 その後、Jake White監督が就任すると、南アフリカラグビーの黄金期を統轄します。スプリングボクスを世界ランク6位から1位に導き、オーストラリアに次いで2度目のワールドカップ優勝を飾るチームに仕立てます。

 2007年ワールドカップでは、WTB Bryan Habana選手がサモア戦での4本を含めた8本のトライを決めてスター選手となり、プール戦で36-0と圧勝していたイングランドとの再戦となった決勝では、再び南アフリカが勝利を収めました。

 2011年大会の初戦でウェールズを17-16の僅差で下した南アフリカは、フィジー、ナミビア、サモアにも勝って、ワールドカップ大会ノックアウトステージ連続進出の記録をキープします。

 オーストラリアとの準々決勝で持てる力を最大限に出して戦いましたが効果はむなしく、陣地戦でもボールポゼッションでも相手を上回りながら1本のトライに結び付けることができず、9-11で落としました。大会を早めに去ることになった南アフリカですが、ゴールキッカーのMorne Steyn選手は62得点を生み出して、大会の最高得点者になりました。

 2015年イングランド大会で、南アフリカは日本戦でのショッキングな負けの後、1週間のリカバリーを経て臨んだバーミンガムでのサモア戦では、JP Pietersen選手がハットトリックを決めて46-6で勝ち、軌道修正に成功します。

 1906年のノーサンバーランド戦以来となったセントジェームズパークでのスコットランド戦でもPietersen選手が再びトライを決め、南アフリカが勝利。さらに64-0で快勝したアメリカ戦では、Habana選手が今大会チーム2人目となるハットトリックをマークして、Jonah Lomu氏が持つ大会15トライ記録に並びました。

RWC Re:LIVE - Habana hat-trick draws him level with Lomu
Bryan Habana's third try of the night against USA drew him level with Jonah Lomu on 15 World Cup tries.

 そうなると急に、南アフリカがプール戦を1つ落としながら大会優勝を遂げる、初のチームになるチャンスが出てきたように見えてきます。

 Heyneke Meyer率いるチームは大会を進むにつれて強さを増し、トゥイッケナムでのウェールズとの素晴らしい準々決勝では、SHで主将のFourie du Preez選手が75分に決めたトライのおかげで23‐19とし、敗戦の難を逃れます。

 この勝利でニュージーランドとの4強対決をお膳立てすると、再びトゥイッケナムで迎えた準決勝で、スプリングボクスはHandre Pollard選手のPG 4本で前半を12-7で折り返します。その展開に、3度目の決勝進出への期待も膨らんでいました。

 というのも、南アフリカはオールブラックスとの過去の対戦で、ハーフタイムにリードもしくは同点となった21試合すべてで勝利を収めていたのです。しかし、その記録も終わりを迎えます。後半が始まって11分の間にDan Carter 選手がDGを決め、Beauden Barrett選手がトライを決めて、流れは世界王者に傾きます。Pollard選手がもう一度PGを成功させ、Pat Lambie選手もPG 1本決めて続きますが、南アフリカはわずかに及ばず、18-20で敗れました。

 クイーンエリザベス・オリンピックパークのジ・スタジアムで迎えたアルゼンチンとの3位決定戦では、Habana選手がLomu氏の記録を塗り替えるチャンスを迎えていました。しかし、実際にトライを決めたのはPietersen選手とEben Etzebeth選手で、ベテランの第2列Victor Matfield選手の代表戦引退にふさわしい、24-13の勝利で大会を終えました。

RECORD BREAKERS

Bryan Habana選手が2015年大会で5本のトライを決めて、Jonah Lomu氏の持つ大会最多通算15トライに並んだ。

Jannie de Beer選手のイングランド戦で決めたPG 5本はワールドカップ1試合での最多記録で、南アフリカを準決勝進出に導いた。

HIGH

南アフリカにとっては1995年大会優勝がすべて。Francois Pienaar選手とチームメイトが遂げた功績はスポーツの枠を越えるものに。エリスパークでEd Morrison主審が15-12での勝利で試合終了を告げる笛を吹いた後、スプリングボクス主将Pienaar選手がコメント。「僕らが今日受けた後押しは、63000人のファンからではなく、4300万人の南アフリカの人々からだった」。

LOW

 初顔合わせで日本に黒星を喫した。

こんなコメント

 「ネルソン・マンデラ大統領がスプリングボクスのジャージを着てロッカールームに入ってきた時に、すべてが決まった。僕らはその試合に勝たなければならなかった。みんな、大統領はスーツにネクタイで来るものだと思っていたからね。その姿がチームの姿勢と士気を変えて、そして国全体のマインドセットを変えてしまった」。Chester Williams氏が’マンデラ効果’について語って。

驚きの数字

 元ワールドラグビー年間最優秀ジュニアプレーヤーのHandre Pollard選手は、南アフリカ代表のワールドカップ大会通算最多PG(23本)をマークして、2015年大会中にPercy Montgomery選手の記録を塗り替えた。2015年大会での93得点は、得点王のNicolas Sanchez選手に4得点及ばなかった。

ラグビーワールドカップ2019大会のプール組み合わせ抽選会は、2017年5月10日に日本の京都で行われます。

こちらからサポーターズクラブに加入して2019日本大会の最新のニュースやチケット情報を入手して、@RugbyWorldCupでフォローしましょう。