RWCでの日本

2015年大会開幕から2日目、日本はワールドカップに衝撃を与えました。ブライトンで行われたプール初戦で日本は予想オッズ80倍という前評判を覆して、ワールドカップで2度の優勝経験のある南アフリカを34‐32で下して、新たな歴史を刻みました。

南アフリカは、前々回大会でウェッブ・エリス杯を獲得したチームから7選手を擁していましたが、勇敢な桜の戦士たちのハイテンポなラグビーに対応できませんでした。

日本では1千万を超える人々がこの試合中継を見守り、イギリスのブライトンコミュニティスタジアムでは3万の観客が座っていられない展開に見入る中、カーン・ヘスケス選手が残り数秒で勝利のトライを決め、日本ラグビー界にその名を刻みました。

Hall of Fame Greatest Moment: 歴史的勝利 日本代表 v 南アフリカ代表 RWC2015

その後、日本は第3戦のサモアと第4戦のアメリカに勝利したものの、第2戦スコットランド戦の惜敗でプールB 3位となり、8強進出を逃しました。プールで3勝を挙げながらノックアウトステージへ進出ができなかった、初めてのケースです。

しかしながら、ブライトンでの南アフリカ戦の勝利で、日本は24年間のワールドカップ勝ちなし記録をストップ。さらに、ティア2国でも格上と渡り合うことができるという印象を与えることになりました。過去のワールドカップでは、日本は全大会に出場しながら白星は1991年大会のジンバブエ戦のみ。引き分けもカナダ戦の2回を数えるのみでした。

日本のワールドカップ初出場は第1回大会の1987年で、初戦はブリスベンでのアメリカ戦で18‐21でした。続くイングランド戦では大敗しましたが、第3戦ではオーストラリアを相手に善戦。第1列のLO林敏之選手とSO平尾誠二選手がチームを牽引するパフォーマンスを見せ、特に前半の大健闘でチームは3点ビハインドでハーフタイムに入ります。しかし後半、日本はその良い状態を維持できずに23‐42で敗れました。

1991年大会では、日本は3試合で13トライを挙げ、同大会のプール戦統計ではスコットランドに次いで2番目に良い攻撃を記録。日本が速いテンポの攻撃を見せる時には、どのチームも手を焼きました。アイルランド戦のトライの1つは足で稼いだもので、WTB吉田義人選手が左タッチライン際を突破する見事な走りを見せて、FL梶原宏之選手へのトライにつなげました。

その試合で日本はトライ3本を決め、そのうちの2本のコンバージョンをFB細川隆弘選手が得点。初戦のスコットランド戦(9-47)での9得点、レイブンヒルで日本が記念すべき勝利を挙げたジンバブエ戦(52‐8)での13得点(5 G、3 PG)と併せて29得点をマーク。1991年大会の日本の最高得点者になりました。

ところが、日本はその後の大会で一向に勝利を挙げられず、2勝目はブライトンでの南アフリカ戦まで待つことになります。

1995年大会では、初戦でウェールズに10‐57、第2戦ではアイルランドに28‐50で、ニュージーランドとの第3戦へ期待が高まっていました。しかし、最終的には望むような結果にはなりませんでした。オールブラックスはジョナ・ロムー選手を欠いていたものの、日本を相手に145‐17というワールドカップ史上最多得点試合を演じたのです。梶原選手が2本のトライを決めたのが、せめてもの慰めでした。

Try Time Tuesday: RWC2007で遠藤幸佑が決めた見事なトライ!
カナダのディフェンスを駆け抜ける日本代表の遠藤幸佑! Rugby World Cup 2007

数字を見ると、1999年大会は1995年の南アフリカ大会ほどひどくはありませんでした。日本はプールD で3連敗して最下位に終わりましたが、15‐64で敗れたウェールズ戦での2本のトライを含め、3試合で36得点を挙げています。WTB大畑大介選手が俊敏性を活かした素晴らしいプレーでトライを決めたのは、この大会での日本の数少ないハイライトシーンになりました。

2003年大会は、スコットランド、フィジー、フランスとの対戦で前途有望な立場を維持できず、「たられば」を口にしたくなる展開になりました。スコットランド戦では残り15分で4点差に迫りながらも11‐32で敗れ、フィジー戦では3点差で前半を折返しながら、後半は足が止まって13‐41で終了。フランス戦も似たような展開で、後半のある時点までは1点差に迫りながらも、選手温存のフランスに29‐51で敗れました。タウンズビルで多くのファンからの声援を受け、2500キロ離れたゴスフォードへ移って最後のアメリカ戦を迎えましたが、それも26‐39で敗れました。

2007年、日本は初戦のオーストラリア戦で、後半だけで68失点を許すという一方的な展開を許しました。しかし、次のフィジー戦では立て直して、自在にボールを運ぶ素晴らしい試合を見せ、リードが6回も入れ替わる展開の末、最後はフィジーが35‐31で勝利しました。カーディフでのウェールズ戦は18‐72で敗れたものの、NO 8遠藤幸佑選手がフィールドのほぼ全長を走ってのトライを決めると、TVコメンテーターを務めた、2003年大会優勝の元イングランド代表ウィル・グリーンウッド氏は「素晴らしい」の連発でした。

遠藤選手は、カナダとのプール最終戦でも足を活かす同じ様なプレーを見せて、先制のトライを決めました。しかし、カナダが反撃。試合終了直前に、日本はCTB大西将太郎選手がCTB平浩二選手のトライ後のコンバージョンを決めて、12‐12の同点にした。

ティア2国として戦う日本とカナダは、ニュージーランドでの2011年大会でも顔を合わせ、23‐23の同点を演じます。しかし、フランス(21‐47)、ニュージーランド(7‐83)、トンガ(18‐31)に敗れていた日本は、7大会で5度目のプール最下位に終わりました。

2015年大会へ向けてエディ・ジョーンズが日本代表ヘッドコーチに就任すると、短期間でアジア王者を世界トップ10位内に押し上げます。2015年大会開幕時には15位へ順位を落としていたものの、過去の大会よりも良い戦いができるのではという高い期待感がありました。とはいえ、誰も、自信家のジョーンズヘッドコーチですらも、あれほどスペクタクルな結果を生み出すことは予想していなかったでしょう。

RECORD BREAKERS

全人口の5分の一にあたる2500万の日本人が、サモアとの大会第3の深夜生中継を観戦。

HIGH

2015年大会のブライトンで行われた日本対南アフリカのテストマッチ初対戦で、格上を破る衝撃の勝利に。

LOW 

日本の1995年大会のニュージーランド戦の145失点記録は、今後も破られそうにない。

こんなコメント

「この仕事に私は歳をとりすぎだ。もう55歳で、バルバドスでクリケットでも観ていてもいい頃だ。だが日本ラグビーの歴史が今、変わったんだ」と、南アフリカ戦の勝利に感慨深げにエディ・ジョーンズ。

驚きの数字

日本は2015年大会でマイボールスクラムを100%獲得した2チームの1つ(もう1チームはアメリカ)。

ラグビーワールドカップ2019大会のプール組み合わせ抽選会は、2017年5月10日に日本の京都で行われます。

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