【東京・10月24日】イングランドとニュージーランドは26日の夜、横浜でラグビーワールドカップの準決勝で対戦する。両チームがテストマッチでぶつかるのはこの5年間で3度目だ。

最近のラグビー界のカレンダーでは、両者の対決は比較的珍しいものになっているが、少しばかり時をさかのぼってみると数々の名勝負の記憶がよみがえる。その中でも選りすぐりのクラシック4試合を振り返ってみよう。

1995年ワールドカップ準決勝(ケープタウン・6月18日)

ニュージーランド 49-29 イングランド

ワールドカップ史上最も再生回数が多いと思われるのがこの試合ではなかろうか。それはジョナ・ロムー(上の写真)の不滅の映像のおかけだ。彼のパワーが頂点に達した時期のゲームで、イングランドを蹂躙(じゅうりんし)し4トライをマークした。

既に故人となってしまったロムーの魔法のようなプレーを見飽きるとことはない。この試合で最大の餌食となった(突進するロムーにゴールライン近くで吹き飛ばされてトライを許したフルバックの)マイク・キャットですらそう感じていることだろう。2019年大会でイタリアのバックスコーチを務めたキャットは次のように明るく振り返る。「大好きさ…私はすべてうまくプレーした。ウィル・カーリングのタックルが外れて小突くような形になり、彼(ロムー)が私に向かってつまずいた以外はね。その後の3度のトライはどうだったかって?彼は私の周りを走り回っただけさ」

ロムーの超人ぶりは、このゲームでイングランドが前半30分過ぎまでに3-35のリードを許した瀕死の状態からかなり巻き返したという事実さえ忘れさせてしまう。ロムーを擁するオールブラックス相手に後半4トライを上げて反撃したことは価値あることと認めよう。

この試合ではロムーが絡まない局面でも忘れがたいシーンがある。

ニュージーランドが前半15分までに17-0とリードを広げた後、キックによるクリアーを拾ったナンバー8のジンザン・ブルックがイングランド陣内で数歩ステップを踏んだ時のことだ。

「あんな遠くから(注:直訳すると「百万マイルも離れたところから」)ドロップキックをしようとしています!」とニュージーランドのコメンテーターが叫び、こう続けた。「何というゴールだ!彼は生涯このことを語り続けるでしょう」

2003年ニュージーランド遠征(ウェリントン・6月14日)

ニュージーランド 13 15 イングランド

ジョン・プリン主将率いるイングランドがアウェーでニュージーランドを相手に初勝利を挙げてから30年を経たこの年、クライブ・ウッドワードが指揮をとる代表チームが風雨の中、ウェリントンで行われたテストマッチで躍動した。オーストラリアで開催される2003年ラグビーワールドカップでイングランドが真の優勝候補であることをオールブラックスだけでなく世界中に知らしめようと願って…。

その試合での出来事は、そののち6人のフォワード陣伝説として語り継がれることになる。ニール・バックとローレンス・ダラグリオがイエローカードをもらって一時退場となってから、6人に減ったフォワード陣がフルパワーの8人を擁するオールブラックスのフォワードパックを4度にわたるスクラムで持ちこたえゲインを許さなかった。試合はジョニー・ウィルキンソン(下の写真)が4本のペナルティーゴールと得意のドロップゴールでイングランドの15得点すべてをたたき出し、15-13で勝利を収めた。

特筆すべきは、13人で戦った時間帯を3-0のリードのまましのぎ切ったことだ。運も味方した。オールブラックスのスタンドオフ、カルロス・スペンサーがキックを外し、スクラムハーフのジャスティン・マーシャルがゴールラインまであと少しと迫った怒涛のアタックで太ももを故障。ナンバー8のロドニー・ソイアロアはトライを奪ったかに見えたが、タックルされて倒された時にボールを持ったまま2プレーしてしまう「ダブルモーション」の反則を取られた。

オールブラックスのスクラムを跳ね返したその6人のフォワード陣は、ルースヘッドプロップのグラハム・ローンツリー、フッカーのスティーブ・トンプソン、タイトヘッドプロップのフィル・ヴィッカリー、ロックは主将のマーティン・ジョンソンとベン・ケイ、そして1人でバックローを務めたリチャード・ヒル。ヒルは今回のRWC日本大会にチームマネージャーとして同行している。

名前を挙げた8人のフォワードのうち7人が5カ月後にワールドカップを制覇した代表メンバーとなった。残酷なことにローンツリーだけが代表入りを逃したが、少なくともイングランドに自信を植え付けたフォワードの一人としてそのプレーぶりは称えられるべきだろう。

2004年ニュージーランド遠征(ダニーデン・6月12日)

ニュージーランド 36 イングランド

ウェリントン遠征で2003年ワールドカップ制覇の序章となる勝利を挙げてから1年後、RWCで開催国のオーストラリアに準決勝で敗れて失意の中にいたニュージーランドは、新しい世界チャンピオンに対してその底力を見せつける機会を待ちわびていた。

ニュージーランド南島の都市ダニーデンでのこの試合は「ハウス・オブ・ペイン」と呼ばれ、イングランドにとっては拷問とも言うべき展開になった。グラハム・ヘンリー新監督の下でオールブラックスが輝きを放ち、そのパフォーマンスは7カ月前にイングランドがワールドカップで達成した偉業がはるか昔のことに思えるほど素晴らしかった。

イングランドの選手たちにとっては、長いシーズンの終盤に行われた遠征であり、疲れは隠せなかった。加えて、マーティン・ジョンソン、ジョニー・ウィルキンソン、ジェーソン・ロビンソンといったワールドカップでチームを引っ張った選手たちが参加せず、リーダー不在の状態だった。その中でローレンス・ダラグリオが主将を務めたが、結果は惨憺たるものだった。

カーロス・スペンサー、ダグ・ハウレット、ジョー・ロコココのトライでハーフタイムまでにほぼ勝負はついてしまった。リッチー・マコウは「ジャッカルの日」とも言うべきパフォーマンスを披露し、ダン・カーターは冴えわたるプレースキックによって21得点をマーク。この2人の活躍はその後のニュージーランドの黄金時代の到来を明らかに告げるものだった。

その1週間後、オークランドに舞台を移して行われたテストマッチでもオールブラックスは36-12と快勝し、ニュージーランドが世界のラグビーを背負って立つ「古き秩序」と言うべき時代に舞い戻ったかのような印象を与えた。

2012年イングランド遠征(トゥイッケナム・12月1日)

イングランド 38 - 21 ニュージーランド

この試合はマヌ・ツイランギの身体能力とスピード、狡猾なまでのテクニック抜きには語れない。新たにイングランド監督に就任したスチュワート・ランカスターにとって彼の活躍は、2011年のワールドカップでイングランド代表がピッチの内外で繰り広げた問題ある行動、そしてそれが影響して準々決勝敗退を余儀なくされた結果を補って余りある代表チームを作り上げるモチベーションとなったに違いない。

ツイランギは2011年の大会中にオークランドの波止場でフェリーから飛び降りて地元警察から警告を受けた。それから1年余りが過ぎて行われたこのテストマッチではメディアから称賛の声が相次いだものの、彼のその後の度重なる故障と規律面での問題がイングランドで開催される2015年大会に向けて暗い影を投げかけるとは誰も予想できなかった。

ニュージーランドのディフェンスをこじ開けたツイランギ(上の写真)のパワフルな走りには目を見張るものがあり、オールブラックスの20試合連続無敗という記録は突如として終焉を迎えた。レスターのセンターを務めるツイランギはこのゲームで、インターセプトから悠々と50メートルを独走するトライを決め、トゥイッケナムを埋めた観衆を総立ちにさせただけでなく、ブラッド・バリッドとクリス・アシュトンのトライをお膳立てした。

ニュージーランドは0-15とリードされてから1点差まで詰め寄ったが、最終的な17点差の勝利は、イングランドにとってオールブラックスとのテストマッチでの新記録となった。ニュージーランドのチーム内で流行ったウイルス性の症状が彼らのプレーに及ぼした影響があったとしても、ツイランギのプレーのインパクトは誰も否定できないほど強烈だったことは確かだ。

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