【東京・10月18日】20日に日本とのラグビーワールドカップ(W杯)準々決勝を迎える南アフリカを率いるのは、貧困を乗り越えて同国初の黒人主将となったシヤ・コリシ(28)。その生い立ちはハリウッド映画で描かれるような立身出世物語だ。

アパルトヘイト(人種隔離)政策でつくられた旧黒人居留区に生まれたコリシは、小学校時代にそのプレーぶりが目に留まり、10歳のときに地元のラグビークラブ「アフリカンボンバーズ」に。当時、犯罪や麻薬がはびこる貧しい地区で唯一の楽しみと言えばスポーツしかなかった。

小学校時代にコリシにラグビーを教えたエリック・ソンウィキによれば、彼は「当時から規律や指導力でほかの子どもと違う資質を持っていた」という。「いずれラグビー人生の頂点を極めるだろうと思った」

 

 コリシはその後、奨学金を得て南アのポートエリザベスにある名門公立男子高グレー・ハイスクールへ進学。ラグビーの強豪として知られる同校での活躍で、ケープタウンのスーパーラグビー参戦チームのストーマーズにスカウトされる。そこで2017年2月、25歳の若さで主将に。翌年には126年の歴史を誇り、白人が大多数を占める南ア代表チームで初の黒人キャプテンとなった。

2人の子どもの父親でもあるコリシ(写真上)は、地元ズウィデ地区のラグビークラブを支援したり、出身小学校にタブレットなどを寄贈したりしており、地元の少年たちが彼の後に続くのを待っている。

コリシと一緒に撮った写真を大切にしているソンウィキは、フランカーとして活躍する彼の主将就任を地元は今でも祝っているという。

「そのニュースを聞いたとき、ズウィデの人々は熱狂した。彼は今でも地元や母校に恩返しをしてくれており、若者や選手の生活を変える大切な役割を果たしている」  

地元開催の1995年W杯で南アが初優勝を達成したチームのSOだったジョエル・ストランスキーもコリシのファンだ。

「シヤ(コリシ)が大変な思いをして困難を乗り越えてきたという事実が、あのときの喜びをさらに意味あるものにしてくれている」と語るストランスキーは、ニュージーランドとの決勝戦で劇的なドロップゴールを決め(下記)、母国を初のチャンピオンに導いた。W杯日本大会ではテレビの評論家として来ている。

「彼をちょっと知っているが、それは彼の背景というより、人間として素晴らしいということ。南アの良さを体現している偉大な人間だ」 

今大会でコメンテーターとして来日している元南ア代表がもう一人いる。2004年から2006年までフッカーとしてプレーしたハンヤニ・シマンゲだ。「コリシからラグビーを取ったら、ただの善人」だが、3度目のW杯トロフィーを彼が抱く可能性が見えていることにドキドキが止まらない。

「鳥肌が立つよ。もしそうなったら、南アとラグビー界にとって希望、忍耐、勇気、そして指導力にとってどんな意味を持つだろう。今のままでいい、パーソナリティーを変えることはない。(コリシのように)謙虚であれ」

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(写真はアフリカンボンバーズ提供)