カナダにとって、今回のラグビーワールドカップへの道のりはこれまで以上に長くて険しいものでした。
今回、カナダは日本行きの切符を得るのに想定していたより18ヶ月も長くかかりました。アメリカズのプレーオフではアメリカに負け、その後ウルグアイはカナダを敗者復活戦送りにし、ワールドカップ出場の最後の枠に滑り込むのに大変苦労しました。
しかしカナックスはマルセイユで落ち着きを見せ、ケニア、ドイツ、香港との試合に勝利し、ニュージーランド、南アフリカ、イタリア、ナミビアと並んでプールBに入り込みました。
カナダにとって、自分たちが出場しないワールドカップはユニークであり、考えにくいものとなっていたでしょう。カナックスは1987年の初回ワールドカップ以来、毎回欠かさず出場しており、最初から彼らの存在は大きいものでした。
勝利のスタート
第一回目のラグビーワールドカップでは、カナダは6トライを決め、ネーピアでトンガを37-4で破りました。カナダは最終的に次のプールマッチでアイルランドに(46-19)、ウェールズに(40-9)と敗れましたが、多くのポジティブな面がありました。特にフライハーフであるガレス・リーズの出現です。彼はこれまで出場した全試合で491点をあげましたが、うち120点がRWCの試合であげたものです。
第1回大会で見せた約束を頼りにカナダは西サモアと並んで、1991年大会で準々決勝に進出し既成概念を打ち壊しました。大きく強い体を持つ、素晴らしいキッカーである10番が試合を支配していたように見えました。(その年の前半のイングランドのグランドスラムでの成功は、そのようなやり方で達成されました。)カナダ選手の身体力とリーズのキックの正確さは、いつも相手を脅かすことになりました。そしてそれが証明されました。
フランスに拠点を置いていたカナダチームは、共催国であるフランスに19-13で負ける前にフィジーに(13-3)、ルーマニアに(19-11)と2勝しました。それにもかかわらず、ノックアウトステージでの彼らの位置は、プール4の2位としてのものでした。リールで行われた準々決勝で、カナダはディフェンディングチャンピオンのニュージーランドと戦いました。オールブラックスは一軍の選手ではありませんでしたが、それでも余裕がありました。最終的には29-13で敗北を喫しましたが、カナダは後半だけ見ると10-8とニュージーランドに「勝って」いました。
RWC 1991で準々決勝まで進んだため、カナダはその4年後に開催される南アフリカでのワールドカップへの出場権を自動的に獲得しました。また、その後フランス、ウェールズとの対戦では歴史的勝利を飾りカヌックスは「一発屋」ではないと証明されましたが、残酷なプール抽選で、ディフェンディングチャンピオンのオーストラリアとホスト国の南アフリカという組み合わせのプールに入り、彼らはまたノックアウトステージに出場するために困難に立ち向かわなくてはなりませんでした。
レッドカード
それでもカナダは別の意味で印象を残しました。ルーマニア戦(34-3)での勝利とオーストラリア戦(27-11)の勇敢な敗北の後、カナダは最終戦をポートエリザベスでスプリングボックスと戦うことになりました。そして少しやり過ぎてしまいました。結果、ガレス・リーズとロッド・スノー(両カナダ選手)と今大会でチャンピオンとなった南アフリカのジェームズ・ダルトンが退場処分を受けました。
1999年のラグビーワールドカップ、プールCでの初戦でカナダは後半、フランスを1点差にまで追い詰め衝撃を与えました。しかし、リーズがケガで抜け運が傾いたのか、最終的にはフランスが33-20で勝利しました。
リーズは第二試合のフィジー戦で試合に戻ってきました。8年前のワールドカップで負けを喫した南太平洋の国は今回は38-22でカナダに勝利し、準々決勝進出を決めました。リーズのカナダ代表としての最後の試合はこのプールの最終試合、ナミビア戦でした。彼は12回のキックを全て成功させ、合計で27点をあげました。最終的にカナダは72-11でナミビアに勝ちました。
カナダは再びRWC 2003出場に向け好成績を残し、トーナメント中には対スコットランド戦でドローと勝利という両方の記録を残しました。しかし、オーストラリアでは24-7という結果で勝利でおさめたトンガ戦しか勝ち星をあげることができず、プールDではニュージーランド、ウェールズ、イタリアに次ぐ4位となりました。
行き詰まり
大会史上、二度目となる引き分け(第一回大会以来20年もなかった)で終わった戦いは、カナダの癒しにはなりませんでした。試合終了間際に日本に得点を許し12-12となり、RWC 2007はがっかりする結果となりました。カナックスはまた一勝もあげることができず、プール最下位となりました。
しかし、2011年のニュージーランド大会でカナダはまた戻ってきました。ファンガレイでは25-20で強力なトンガチームを破りました。トンガが決勝進出を決めたフランスを破ったチームであることを考えると、カナダの勝利がいかに素晴らしいものであったかが分かります。カナダは次の戦いで(46-19)でフランスに敗れ、日本とは(23-23)で2大会連続の引き分けとなりました。プールの最終試合となったホスト国と戦いでコーナー・トレイナーは2回トライをきめましたが、結局カナックスは79-15で大敗を喫しました。
FLASHBACK: @DTHVDM making a spot of history for @RugbyCanada in #RWC2015 pic.twitter.com/L6kkTQjkpF
— Rugby World Cup (@rugbyworldcup) November 8, 2015
第一回大会でフルバックとして活躍した元オールブラックス、キーラン・クロウリーがカナダをRWC2015に導きました。1991年に準々決勝に進んだときのように、プールDに入ったカナダは、カーディフのミレニアムスタジアムでアイルランドに(50- 7)の完敗でこの大会をスタートしました。残り10分でのDTH・ファン・デル・メルヴァの反撃のトライ は、今大会で芳しい成績を残せなかったカナダチームの数少ないハイライトの一つでした。
第二戦はリーズのエランド・ロードで行われたイタリア戦で、初戦を負けてしまった者同士の戦いでした。カナダは直近の10試合で1勝しかしておらず、一方でアッズーリも6連敗を止めたがっていました。いままでになく年長者の多いラインアップだったカナダは、ファン・デル・メルヴァとマット・エヴァンスのトライのおかげでティア1のイタリアに勝つ絶好の機会を得ましたが、そのまま試合を終わらせることができず、結局イタリアが23-18で勝利をおさめました。
ファン・デル・メルヴァは、すべての試合で得点し記録を保ちました。フランスに41-18で敗れた試合から、残り時間30分まで15−0でリードしていたにも関わらず17—15で最終的に負けてしまうという大会史上まれに見る逆転劇を見せたルーマニア戦までです。
記録破りの選手
ベテランのフッカーであるレイ・バークウィルがもし代表選手に選ばれ2019年の日本大会に出場する場合、出場選手の2番目の年長者記録を作ることになります。これまでの出場選手の最年長記録はディエゴ・オルマエチェアで、彼がウルグアイ代表として出場した最後の試合のRWC1999、彼は40歳と26日でした。オンタリオ生まれのバークウィルは、トーナメントが始まる頃には39歳になっています。
最高の瞬間
RWC 1991にて、彼らの歴史上唯一のノックアウトステージに進出。
どん底の瞬間
前回ワールドカップにて15−0でリードしていたルーマニアに逆転負けを喫し、プールステージでの試合を全敗した。
名言
カナダのラグビーアイコンであり元キャプテンのアル・シャロンの言葉 「私にとっては、(私のラグビーのキャリアにおいての)ハイライトで最高の栄誉は、世界の舞台で国の代表として、そして国のためにプレーしたことです。」
素晴らしいスタッツ
1995年のワールドカップ、南アフリカ戦でガレス・リーズとロッド・スノーが退場処分を受け、カナダはラグビーワールドカップの試合において1人以上の選手が退場した唯一のチームとなりました。4年後にダン・ボウがスタンピングで退場し、カナダがワールドカップで受けたレッドカードは合計3枚となり、トンガと並んで大会史上最多です。